恋人の僧侶を追い増尾に

 「恋のない世になにがあるでせう」という直情径行、情熱の詩人、江口章子(あやこ)が柏市増尾の広幡八幡宮近くの墓地にある辻堂に住んだのは、大正末期から昭和の初めのことである。章子は、北原白秋の二番目の妻だが、すでに離婚しており、増尾に住んだのは、京都大徳寺の僧侶中村戒仙との恋を得て、戒仙が松戸の自坊栄松寺に帰ったのを追いかけて来たのだった。戒仙は、面倒を見て増尾の辻堂に住まわせたのである。7歳で増尾少林寺の養子となっていた戒仙との縁で少林寺境内に、写真のような章子の歌碑が建てられている。

駆け落ちし白秋と離婚

 大正9年出版の「雀の卵」は、白秋を貧乏とスランプから脱出させ、幸運と再生のカギになった。その序文で白秋は、「二人はただ互に愛し合ひ、尊敬し合ひ、互に憐憫し合つた」と書いているが、その白秋・章子の結婚生活が破綻したのは、小田原の住居の隣に洋館を建てた建前の祝宴だった。小田原の芸者総出というにぎやかさに、白秋の生活を支えて来た弟らが反発し、章子を非難する。いたたまれず、章子は出入りの新聞記者と駆け落ちしてしまう。

 章子の人生は狂い始める。

 新聞記者はベルリン特派員で発ってしまい、章子は谷崎潤一郎のところに転がりこむ。やがて、故郷大分の香々地(かかち)へと放浪する。実家はすでに没落、養子の時代である。空家を借り、仕立物の内職をしたり、京都に戻り郡是製糸の女工になったりするが続かない。そして一休寺の住職林山太空と第3の結婚(章子は白秋の前に結婚、離婚)、それも二ヶ月足らずで出奔している。

 すでに知り合いの戒仙のいる大徳寺へ行き、松戸に帰ったことを聞くと、連絡もせずに松戸行きを決行する。そして増尾住まい。こんな歌がある。「人間を枯木とおもふ吾ゆゑにこの山住みをさみしとはいはじ」

 戒仙が大徳寺に迎えられると、章子も後を追う。禅僧の妻帯は許されず、表に出られない生活が続く。狂気が章子をむしばみ始めていた。大法要があったとき、章子は真っ裸で飛び出し木の下で坐禅を組んだという。戒仙が強制的に入院させた。

 章子の終着地は、故郷の香々地である。美貌と魅力のある人柄ながら自己顕示の強い放浪の血を持ったこの詩人は、実家の座敷牢めいた部屋で食い中風になり、糞尿にまみれて亡くなる。59歳、昭和21年のことである。

 香々地にも歌碑が建てられている。

  ふるさとの香々地にかへり泣かむものか生まれし砂に顔はあてつつ

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