流山・調布・日野三市で新選組まつり

新選組ゆかりの地ということで、日野・調布・流山の三市が共同の「新選組スタンプラリー」を平成16年7月から9月まで開催した。三市の会場を訪れてもらい、町おこしに役立てようという。

流山市では、市立博物館に資料を展示する一方、文化会館で「新選組の子孫と語る会」を開き、天然理心流の演武も見せてくれた。近藤勇の娘たまは嫁して一子を生んだが、日露戦争で戦病死し、直系は絶えたと聞いていたが、ご子孫が堂々とお話され、沖田総司、榎本武揚らの後裔も見えていた。

日野では土方歳三が生まれ、調布では近藤勇が生まれている。そういう事実が流山にはない。ただ、慶応4年4月3日、官軍が押し寄せ、長岡本陣の江戸方は大敗したという恩田家文書が展示されている。流山に来た理由を、
(1)会津藩と合流のため
(2)慶喜警護のため
(3)反撃のため、
とし、「皆様のご意見をお聞かせください」と言う。

太くて重い天然理心流の木刀

宮川勝五郎といった近藤勇は、天然理心流宗家三代目の近藤周平の養子となり、近辺に出稽古に行く。写真は九代目宗家の演武。気合の入った勝負が期待されたが、撮影はご法度、無念。

下げている木刀に注目。重さが1.75キログラム(普通は0.58キログラム) 、柄回りは17.5センチ(10センチ)で、展示品を持ち上げても、握りきれない。これがぶつかり合うと、バシッという音がする。

近藤勇、流山で再挙をはかるが自首し処刑

「甲州勝沼の一戦で潰乱し、近藤(勇)らはふたたび武州にかえってくるのだが、勝(海舟)はその近藤を江戸には置かず、うまくそそのかして流山で再挙をはからせた。その流山が近藤にとって最後の土地になった」

これは司馬遼太郎の「街道を行く」の一文である。近藤(大久保大和と名乗っていた)は再挙どころか、流山で官軍に囲まれ、ついに自首、21日後に処刑される。一緒にいた土方歳三は江戸にゆき、海舟に近藤の助命嘆願の依頼をしたが間に合わなかったという。

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