昭和12~14年。中国山西省に駐屯していた日本軍兵士だった滝本愛太郎さんは、「絵を描いていればよい」と上官に言われ、写生を続けていた。血なまぐさい戦場の絵はない。討伐軍が休憩しているところ、帰還したところなどはあるが、現地の人物・風俗・風景などが多く、それが五冊の画帳として残されている。

滝本さんは友禅師だった。手書き友禅を職とし、二人の娘にあでやかな友禅を染め上げて着せ、ときには美人画を描いた。

戦場と美人画と、そして友禅と、美しい世界が広がっている。

美人画 ラマ搭

友禅師が残した細密・華麗な世界

柏市南逆井の石田彰子さんのご家族が疎開させておいたという戦地画を見せてもらい、そのとき、戦後に描かれた美人画や友禅の作品も拝見した。お父上の滝本愛太郎友禅師の華麗な遺作である。

戦地画帳は手作り、画用紙を二つ折りにして紐で綴じてある。開けば右の絵(山西省=汾陽城内ラマ塔)のように縦長の倍になる。細密な写生画である。

美人画でも同じである。友禅師には美人画の構図は頭の中に入っているというけれど、隅々まで描きこまれている。戦地画も美人画も、同じ瀧本さん(号は歌山)の作品であることが頷ける。

この細密さは、友禅師の優れた技量によるものだろう。手書き友禅の粋といえる訪問着の「御所車」=写真下=と留袖の「彦根屏風」の、息を呑むような繊細さに驚く。とても下絵、糊おき、彩色という工程を経て出来上がる着物とは思えない。

御所車

Follow me!

前の記事

巨大水槽を探検

次の記事

寂し楽し田の神