戦時中、勤労奉仕をしていた中学生は、苗代の苗をリヤカーに乗せて田植えををしている田んぼに運ぶ。農道の真ん中にはオオバコなどの雑草ががんばっていて、リヤカーを曳くのも押すのも裸足が痛かった。

昭和25年に東山魁夷が野を貫く一本の「道」を描き、「画家の心象が託された、象徴の世界」と言われ、戦後の日本画史に刻み付けられた作品とされた。

中央に雑草のない野中の道などあるだろうか。グラマンに、いつ急襲されるかもしれない昔の記憶に捕らえられている男は、オープンした市川市東山魁夷記念館に「道」を見に行った。

名作「道」の真ん中に、なぜ雑草はないのか

東山さんは、几帳面な方である。細密な日本画を生む人間性に1階の展示室で、じっくり会うことになる。

療養中の弟に送った葉書の絵物語30枚もある。中学生のときの水彩スケッチ「川の畔り」もある。14歳から16歳までの短歌400首を読める。その中の一首。

母います神戸の土を離れ行けど 心残らぬ子となりしかな

文化勲章、絵の具箱、帽子、折りたたみの椅子などもおかれ、人間・東山魁夷に親しめる。

2階の展示室には、市川市の「道」(試作)を始め、美術館の所蔵作品、それにスケッチ・習作による連作「冬の旅」30点、特別出品などで、青の多い東山ワールドが広がる。

その中に、雪にうずもれ白い「高原」の道がある。遠方の山に向かうカーブした力強い道、中央にあるに違いない雑草は見えるはずがない。

勤労奉仕の農道の記憶は、東山ワールドの中で溶暗してしまう。絵とは象徴の、画家の頭の中に新たに創造されたもののようである。

留学していたドイツの民家を模したという記念館。右が展示室、トンガリ帽子の屋根のあるところが入り口。左は喫茶室など。JR下総中山駅からタクシーで行き、帰りは数の少ないバスの時間を確かめてから見学するのが無難。

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